関東平野のほぼ中央で利根川を背にしているのが大利根町です。 水と緑に恵まれた自然と調和する町、 そして国道・県道など交通網が整備された産業の町として地域づくりが進められています。 また大利根町が生んだ偉大な音楽家である下總皖一にちなんで童謡のふる里と呼ばれる文化都市でもあります。 自然公園、 文化施設、 工業団地などがバランスよく配置されており、 たいへん快適で活力のある町です。

♪ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら
ぎんぎん砂子♪という童謡たなばたさまをどなたも子どもの頃に歌った記憶があることでしょう。
下總皖一はこの歌に代表される作曲家であり、
偉大な音楽家そして音楽教育家でした。 1898年、
原道村(現在の大利根町)に誕生。 原道村尋常小学校・栗橋尋常高等小学校を経て埼玉県師範学校を卒業後、
東京音楽学校師範科(現在の東京芸術大学)に入学し首席で卒業。
長岡女子師範学校に教師として赴任したのを皮切りに、
秋田・岩手・栃木などで教鞭を取りました。 結婚は1921(大正10)年、
23歳の時。 女子学生に人気のある若き教師であったため恋人の実家が心配し破談になりかけたとき、
自分の血で愛と書いて和歌とともに送ったという逸話があります。
1927(昭和2)年からは東京へ移り、 成城小学校・東京女子師範学校(現在のお茶ノ水女子大学)・帝国音楽学校・武蔵野音楽学校などで音楽教育に情熱を傾けました。
1932(昭和7)年、 34歳にて文部省在外研究員として作曲研究のためドイツヘ渡り、
その頃から本格的な作曲活動が始まります。 2年後に帰国、
東京音楽学校講師・助教授、 1942(昭和17)年には教授。
1956(昭和31)年には、 東京芸術大学音楽学部長に就任しました。
以後は教育者として活躍しながら、 音楽理論など多くの教育図書を執筆。
作曲活動も活発で、 クラシック・邦楽・童謡などに多くの傑作を生み出します。
代表作として童謡たなばたさま・野菊・はなび・かくれんぼなどが挙げられます。 1962(昭和37)年、 64歳で永眠。
生前の功績に対し、 昭和天皇から祭祀料を賜り、
政府からは正四位勲三等に叙せられました。
