北川辺町


田園のおいしい空気と豊かな大地

  北川辺は利根川と渡良瀬川に囲まれた「輪中の地」です。 人々は昔から水害と戦いながら肥沃な大地を守ってきました。 戦後は建設省の治水事業により水害もなくなり、 広大な河川敷は総合グランドや公園として人々の憩いの場となっています。 きれいな水とゆたかな土壌がおいしい米を育てるため、 稲作の宝庫として貴重な地域となっています。 おいしい米といえば、 町を挙げて力を入れている北川辺こしひかりが有名です。 また首都圏から60Kmという立地を生かして、 都市と田園の出会う健康な町として脚光を浴びており、 豊かな自然を背景に新しい可能性を秘めた町です。


郷土が生んだ人

日本最初の医学博士 田口 和美(たぐち・かずよし)

  医学の世界ではよく知られている田口和美ですが、 その名は一般にはなかなか浸透しておらず、 しかも埼玉県北部出身であることはさらに知られていませんでした。 しかし日本において解剖学の祖であり、 初の医学博士でもある田口和美に対して近年各方面から関心が寄せられつつあります。 田口和美は江戸時代の終わり、 1839(天保10)年10月15日に藤畠村(現在の北川辺町)に生まれました。 田口順鹿という医師の長男で、 そのためか子どものころから医学の道をめざしたといいます。 15歳で単身江戸に上京、 オランダ・和・漠の医学を学びます。 24歳の時、 姉が嫁いでいた現在の栃木県佐野市で医師として開業しました。 明治維新に際してさらに医学研究を志し、 東京下谷の藤堂藩医学校兼病院で研錆を積みますが、 ここで解剖学の研究に傾倒します。 骨格を買い求めることに成功した田口和美は、 解剖学を教え始めます。 翌年には2カ月の間に処刑された遺体49体を初めて系統的に解剖しますが、 短期間にこれだけの解剖を系統的に実施したのは世界解剖学史上でも彼だけであると言われています。 1871(明治4)年、 大学東榎医学部(現・東京大学医学部)の教師となり、 1877(明治10)年東京開成学校と大学東校が合併し東京大学が誕生するにあたって、 医学部の初代解剖学教授となりました。 そして1887(明治20)年には「微毒コンタギュウムに関する報告」の学位論文により、 日本最初の医学博士に認定されました。 1904(明治37)年に65歳の生涯を終えるまで東大医学部で教育にあたり、 多くの専門医学会の要職を務めるなど日本医学界の発展に尽くしました。 北里柴三郎、 森林太郎(鴎外)、 小金井良精をはじめ多くの医師を育てたことを考えると、 その功績は偉大なものであることが実感されます。


郷土の風物詩